今後の方針

 自分がブログ開設したことに現実味が湧かなくて何度も手を替え品を替え検索したのに全然引っ掛からなかったひとー
 は ー いwwwうぇっwwwwwww

 このブログは本当に実在しているんでしょうか。
 パソコンを含む電機機器および道具としてのインターネットに大変疎い私としては、『某巨大掲示板に書き込んでいるのはあなた一人と後は全部機械』という都市伝説の発祥した訳が少し分かった気がします。
 ついでに、なんとなく書き出してみた自分の文章が、第三者に読まれることを前提とした丁寧語みたいなもので書かれていることにも驚き。やっぱりね、こういうところでね、お育ちの良さとか性格の善良さとかがぐへへ
 今の所私は、断定しながら語る程真剣な話をしていないということと、第三者に読まれる可能性が想定されているということ、この二つを意識しながら文章を書いているようです。


 今後の方針ですが、ブログは整頓と編集が楽なこともあり、少しずつ自分の好きなものを纏めていくつもりです。纏めるというごく個人的趣味的覚え書きの作成。おそらく不完全な物がうpされ、ちまちま手が入って完成していくような形かと思われます。

 好きなものを纏めるということについてちょっと。 
 ここには蝟集されませんが、私は遠藤周作が好きです。私が初めて読んだ純文学です。もう何年も手に取っていませんが、いまだ頭に残る彼の主張は宗教的な物でも愛や誠実に関する言葉でもなく、『純文学ばっかりやってたら息が詰まって死んじゃうよwwww』(うろ覚え)です。
 これを読んだのは10年以上昔ですが、なぜかずっと頭に残っていました。最近漸くどんな人間にも神様のような部分と生ゴミにゲロぶちまいたような部分がある、ということが実感されてきました。だから素晴らしい、とかだから腹が立つ、というのではなく、両方持っているのが人間なんだなぁ、と考えています。
 だ か ら 、家の本棚にはうんこ喰う本の隣に『戦争と平和』があります。文章にしてみると酷いですね。でも便宜的な比喩ではなくて、実際にあります。草葉の陰で遠藤先生が泣いているかも知れませんが、なにかの解釈なんてすべてが曲解だと思うので気にしません。
 こういう粗暴なセンスで好きになったものを、年表や評論なんかで纏めてみようと考えています。

ブログをつけてみる

 一時期友人達がこぞってブログやミクシィを始めていた。初めてはいたものの、更新が滞っていたり大した内容でなかったり。インターネットに自分の文章を流すくらいだから、さぞかし面白いことを考えてそれを人に伝えたいのだろうと思い、一度そういう連中を一堂にに集めてみた。なにか高尚で刺激的な会合になるかと思ったら、単にいつもと同じ飲み会になった。
 しかし私も私でまめにそいつらのブログをチェックしている。なぜそんなブログをチェックしているかと言うと、『知り合いの日記を盗み見るのは面白い』というゲスな理由。ぐへへ。
 チェックする理由は分かったが、『そいつらがどうしてブログをつけるのか?』という根本的な疑問が解決しない。だったら自分も始めてみればなにか解るんじゃないだろうか、という単純な回路でひとまずブログをつけてみる。